今回、多くの方が気にされているであろう点を助言します。是非ご参考下さい。それは宗教にすがることと私(の魔術にすがること)との違いです。

失礼だと受け止めず、内容.意味を純粋に読んで頂きたいと切実に思いつつのメールです!

今の職場の仲良い1人に、某芸能人が来るからと誘われ、参加しましたが、S会の公演?的なものでした。極端な話「拝み、手を合わせて願うと叶う」という内容。南無妙法蓮華経の妙は、解説できない不思議なことが起きると…私は「苦しい時に助けてくれない神や仏は無意味」と噛みつき、「拝めば癌が治る」なんてありえないと言いました。彼女は「それでも色々な体験談もあり、救われている人が居るからS会は大きい」と……

拝んでよくなるわけない。偶然だし、体験談信じて?たまたまじゃん!って……え?え?私も「代表のAと奇跡を信じる」S会と千条印先生の魔術は似てる?と思ってしまったのです。

先生を疑う疑わないではないです!!宗教ってこういうものなのでしょうか?「S会」に負けたくないというか…起床時、出勤前、帰宅後、寝る前に必ず拝む彼女達と、同じように白獅子に願う私とは、何が違うのでしょうか…一緒にしてほしくないのです!!文才がないのでうまく伝えられないのですが、ご理解頂けると救われます

宗教は受忍を求めるが千条印は逆

まず、宗教と私が大きく違うちころは実効的な助言の有無もそうですが宗教は ”祈れ、許せ、耐えろ”等と基本は受忍させます。私はその逆であることが多いです。

1 盲目になるな、という意味で祈るな。⇒3に繋がってしまいます

2 我慢は対象者に好き勝手を許すだけ、許すな。

3 耐える事は抑制につながり弱者の臭いが出てしまう、耐えるな。

といった具合です。

※3は弱者の臭いを嗅ぎつけられると、いじめのターゲットになりやすいです。

”祈れ、許せ、耐えろ”等と基本は受忍させる。それによって思考を止めさせコントロールする。これこそが宗教の本質ですが、宗教が長年の歴史の中で存在し続けることが出来たのも理由がありますから、悪い事ではありません。そのような受け皿も必要でありましょう。

私、千条印蓮宗が個人的に気に食わぬ考え方(本質)だ、というだけでございます

宗教で幸福になれる者もいる

行動もしたくないし思考もしたくない、強者にも覇者にもなりたくないと弱者の立場を甘んじ未来を放棄した者は”宗教”はとても居心地がよいものになりましょう。救われる者も多いと存じます。

(それで何かに成功したりお金持ちになることは不可能です。受忍は基本的に何も生みだしません)

私は宗教というものには否定的ですが、あなたが何かの宗教に身を置いている場合は、非常識なカルトでもない、あるいはご相談者が疑義を感じていない限り脱退は勧めません。

特定の宗教に属しながら強者になることも可能

私の助言で覇者・強者の思考を身に着け行動しつつも、自らの宗教の良い部分だけを都合よく解釈していくことでそれが可能です。ただ、ここまでできる方は宗教には早々と見切りを付けます。また、この思考ができる者はそもそも宗教の教えには反します。

(宗教にとって一番知られたくないことを知っている人間という事になりましょう)

以上、私や魔術に向き合うにあたりご参考下さいませ

千条印蓮宗